金融サービスにおける生成AI活用は、どう実装されるのか。
QUICKの金融情報サービス「Qr1」では、FAQでは越えられなかった課題に対し、生成AIを活用したサポート導線を構築。
「答えてよいこと」と「答えてはいけないこと」を見極めながら、実運用にたどり着くまでのプロセスをご紹介します。

株式会社QUICK
フロント営業本部 副本部長 駒栄 武雄氏
フロント営業本部 顧客サービスサポートG 部長 逢坂 稔之氏
フロント営業本部 顧客サービスサポートG 上席エキスパート 荻子 博史氏
フロント営業本部 顧客サービスサポートG シニアコンサルタント 藤巻 智氏
フロント営業本部 顧客サービスサポートG 志村氏
カサナレ株式会社
代表取締役 CEO 安田 喬一
取締役 COO 西田 慶
Business Development Manager 白井 将成
『Qr1』とは
株式会社QUICKが提供する『Qr1』は、Webブラウザ上でリアルタイムのマーケット情報を提供する金融情報サービスです。証券会社や銀行のリテール部門、IFA(独立系金融アドバイザー)の業務など、金融の現場を支える情報基盤として活用されています。
株式会社QUICK
日本経済新聞社グループの金融情報サービス会社として、世界の証券・金融情報をはじめ、政治・経済情報をリアルタイムで配信。
資産運用支援、注文執行業務の支援、情報ネットワーク構築支援サービスなど、証券・金融市場に関連する総合的なソリューションの提供。
View More
FAQでは解決できなかったユーザーサポートの壁
金融機関の業務インフラとして重要な役割を担う『Qr1』。しかし、そのユーザーサポートには長年の課題がありました。
逢坂氏(QUICK):生成AIを検討する前、ユーザー向けのFAQサイトを運営していました。約7,000件のFAQを掲載していて、当時としては相当な量だったと思います。ただ、結果としてはうまく使っていただけず、最終的には閉鎖することになりました。FAQは、本来問い合わせを減らし、ユーザーの自己解決を促すための仕組みでした。ですが、数を揃えれば機能するほど単純ではありませんでした。
FAQで解決できない問い合わせについては、コールセンターのオペレーターが個別に対応していました。自己解決率を上げることができれば、その分だけ人的負荷を下げられるはず。実際そこを狙って運用していましたが、アクセス数は次第に減少していったといいます。
逢坂氏:調べてみると、根本的な問題は情報量ではなく、構造にありました。答えは存在しているのに、該当するFAQにたどり着けない「空振り」が多かったんです。ユーザーは自然文で疑問を入力しますが、FAQは特定のキーワード前提で整理されています。その粒度が噛み合っていませんでした。だから、答えがあるのに検索に引っかからないケースがかなり起きていました。
空振り率から試算すると、7,000件の4倍ものデータを用意し、さらに維持メンテナンスまで続ける必要がある。だが人員リソースには限りがあります。もし従来の延長で改善するなら、さらに大量のFAQを追加し、維持し続けなければなりません。それは現実的ではありませんでした。
逢坂氏:課題は分かっていたし、何とかしたいと思っていました。でも従来のやり方のままでは突破できない。そこに生成AIが出てきて、これはもしかしたら、これまで越えられなかった壁を越えられるかもしれないと感じたんです。
これはブレークスルーになるかもしれない
生成AIが注目を集め始めたのは2023年頃です。しかし当時、企業の業務に本格導入する事例はほとんどなく、生成AIの業務活用へ踏み出すには相当な覚悟が求められました。
駒栄氏 (QUICK):正直に言うと、かなり早い判断だったと思います。あの頃はまだ、企業の業務で生成AIをどう使うかなんて、世の中にほとんど答えがありませんでした。社内でも慎重な見方は当然ありましたし、本当に使えるのか?リスクはどう管理するのか?という話になります。ただ一方で、コールセンターの運用コストをどう下げるか、サポートのあり方をどう変えるかという課題は、すでに目の前にありました。何か手を打たなければいけない。その中で、生成AIがブレークスルーになるかもしれない、という直感がありました。
安田(カサナレ):2023年春は、まだ「GPTって何?」という空気感でした。その段階で業務活用を具体的に考えていたのは、率直に言ってかなり早かったと思います。今振り返ると当たり前に見えるかもしれませんが、当時は「未来に賭ける」に近い判断だったと思います。
その判断の背景には、単に新技術への期待だけでなく、従来の延長線上では解けない課題がありました。
駒栄氏:FAQの改善を積み上げるだけでは限界が見えていました。だから、これまでとは違うアプローチが必要だったんです。未知の技術だからこそ慎重に見る必要はある。でも、未知だからやらないでは、現場の課題は解決しません。そこが意思決定の難しさでした。
未知の技術を業務に導入する。その判断は、決して簡単ではありませんでした。
PoCで見えてきた「精度」だけではない問題
QUICKは十数社に声をかけ、その中から数社に絞ってPoCを実施しました。最初のテーマは明快でした。「この技術は本当に使えるのか」です。
逢坂氏:1回目のPoCで見たかったのは、まず回答精度です。FAQデータを元に質問へ正しく回答できるのか、チューニングでどこまで改善できるのか。そこをかなりシンプルに見ていました。生成AIに可能性は感じていましたが、結局現場で使えなければ意味がないので、まずは土台となる精度を確認したかったんです。
結果として、カサナレの提案は高い評価を得ました。ただし、選定理由は精度だけではなかったといいます。
逢坂氏:精度は他社と比べてもかなり高かったですし、RAGを取り入れていたのも当時としては先進的でした。ただ、それだけが決め手ではありませんでした。間違いが出たときに、なぜそうなったのかを一緒に分析して、改善を続けてくれた。その姿勢が大きかったですね。
駒栄氏:多くの企業は何ができるかの説明が中心でした。でも我々が知りたかったのは、現場の課題をどう解決するかです。その意味で、カサナレは課題への向き合い方が違いました。
カサナレ側も、QUICKの課題の明確さに手応えを感じていました。
西田(カサナレ):QUICKさんは課題がとても明確でした。過去の試行錯誤の蓄積があり、現場の判断軸がしっかりしていた。だから我々も、どこを改善すべきかをすぐ共有できました。
本当に難しかったのは「答えてはいけないこと」
1回目のPoCで精度の手応えを得たあと、より大きな問題が浮かび上がります。それがAIの回答範囲でした。
駒栄氏:1回目で確認したかった精度は、ある程度クリアできました。ただ、実用化するにはそれだけでは足りません。金融情報や決済情報、マーケットデータを提供するサービスですから、日々寄せられる問い合わせの質も高い。しかも、その問い合わせとオペレーターの回答履歴、いわゆるコールログをどう継続的に更新しながら運用に乗せるかという課題もありました。人が回答している以上、表現やニュアンスにも揺れがありますし、それをそのまま増やしていくと、運用そのものの難度が上がっていく。2回目のPoCでは、その設計が本当に成立するのかを見なければいけませんでした。
そこに、金融サービスならではの制約が重なります。
志村氏(QUICK):単に正しい答えかどうかだけでは駄目なんです。そもそもこの質問に答えるべきかを見なければいけない。そこが通常のFAQ自動化とは全く違う難しさでした。ですから、正答率を上げること以上に、致命的な誤答を出さないことを重視しました。1単語でも間違えば問題になる可能性があるので、そこは非常に厳しく見ました。
2回目のPoCで特に意識したのは、「答えてよい範囲」と「答えてはいけない範囲」を明確にすることでした。Qr1は金融情報を扱うサービスです。投資判断に関わる情報には厳しいルールがあります。AIがどこまで答えていいのかを整理しなければ、本番運用はできません。たとえば、銘柄の見通し、投資判断、相場予測。
こうした質問に対して、「正解の基準」だけでなく「答えてはならない基準」を理解させる必要があります。
志村氏:100〜200問のテストケース※を用意して、人力で一つずつ確認しました。ただ、正誤をその場で判断できるケースばかりではありません。社内で確認しないと判断できないものも多くて、1問に30分以上かかることもありました。しかも見ていたのは正答率だけではなくて、この範囲なら答えられるのか、この質問は答えるべきではないのか、という線引きの網羅性まで含めてでした。
※テストケース:想定される質問とその回答(または回答不可)をあらかじめ定義した検証用の設問。QUICK側で実際の問い合わせを想定した質問と回答を用意し、それに対するAIの回答結果をもとにカサナレ側が検索やチューニングを行いながら精度や回答範囲を検証した。
志村氏が中心となってQUICK側の基準を丁寧に整理したことで、カサナレ側も改善の優先順位を判断しながら進めることができました。
西田:ただ、実際の改善は本当に難しかったです。ある部分を直すと、別の部分に影響が出る。まさにいたちごっこでした。どこまでをOKにするのか、一つひとつ擦り合わせながら進めていく必要があって、一難去ってまた一難という感覚でしたね。それでも、少しずつ右肩上がりで改善していった手応えはありました。
2025年、本番導入
こうして2度のPoCを経て、2025年7月に本番導入が実現しました。
荻子氏(QUICK):2度のPoCを通じて、AIが答えてよい範囲と答えるべきではない範囲を整理した上で公開できたことは非常に大きかったと思います。金融情報を扱うサービスとして、投資判断に関わる情報など、守らなければならない線引きがあります。その前提を踏まえながら、必要な情報はきちんと届けられる形にできた。安心して使っていただける状態で出せたこと自体が、大きな一歩でした。
実際、ユーザーからは好意的な声も寄せられました。一方で、期待とのギャップもありました。
荻子氏:「QUICKがAIを出すなら、もっと高度なものでは」という声があったのも事実です。金融情報を網羅的に扱うサービスだからこそ、銘柄情報の検索や投資判断に使える情報が、AIを通じてもっと簡単に手に入るのではないか、という期待があったのだと思います。その意味では、期待値との間に一定のギャップがあったのも確かですが、公開したからこそ見えてきた価値もあります。
志村氏:実際に出してみると、ユーザーが何を求めているのかがかなり見えてきました。金融の分野は専門用語が多いので、たとえば業界に入って間もない方が用語を確認する場面では、しっかり役立っていることが分かってきました。継続的に使ってくださる方もいますし、社内でも基礎知識や用語の確認に使われています。特に新人にとっては、人に聞きづらい細かな疑問を自分で解決できるツールになっているのではないかと感じています。
サポートAIが変えるユーザー体験
では、この取り組みの先に何があるのでしょうか。QUICKが見ているのは、単なる問い合わせ対応の効率化ではありません。
逢坂氏:お客さまからは、この銘柄は上がるのか下がるのか、相場はどうなるのか、といった質問をいただくこともあります。ただ、投資判断そのものをAIに答えさせてはいけないというのは、最初から明確に決めていました。一方で、Qr1の中には判断材料になる情報が数多くあります。AIが結論を出すのではなく、ユーザーが知りたい情報を正確に取り出し、根拠とともに手軽に確認できる形で届けられれば、期待に応えられる可能性があります。そこに近づけていくのが次のテーマだと思っています。
「答えてはいけないこと」の線引きを守りながら、ユーザーが必要な情報にたどり着ける体験をどうつくるか。その問いは、サービス全体のUXにもつながっています。
逢坂氏:今回の取り組みを通して改めて感じたのは、ユーザーにとって重要なのはサービスとしての体験そのものだということです。情報があるだけでは足りない。必要なときに、迷わずたどり着けることが大事なんです。今後は、UXとしてサービス体験をどう高めていくかを、全社とも連携しながら考えていく必要があると思っています。
日々の問い合わせ対応を通じて、ユーザーが本当に求めているものを知る現場だからこそ、見えている景色があります。
藤巻氏(QUICK):現場にいると、「それ、もう機能としてありますよ」と言いたくなる場面が本当に多いんです。でも、ユーザーに知られていなければ、それは存在していないのと同じなんですよね。Qr1には多くの機能がありますが、その分、操作も複雑になりやすい。だからこそ、ユーザーがやりたいことを伝えれば、必要な情報や画面に自然に導かれるような形が理想だと思っています」
藤巻氏が描くのは、問い合わせに「答える」だけではない、サービス体験そのものをAIが変えていく未来です。
藤巻氏:質問に答えるだけでなく、こういう方法がありますよと選択肢を示してくれて、じゃあこれで進めてみようと言ったら、そのまま次の操作につながる。そういう体験ができれば、サービスの価値は大きく変わるはずです。技術的には、そうしたことが可能になりつつありますし、今でも一つの質問に対して複数のアプローチを提示できるようにはなっています。そこから先をどう設計するかが、これからのポイントだと思います。
サポートを「コスト」から「価値の起点」へ
今回の取り組みは、技術的に見ても先進的な要素を含んでいました。
白井(カサナレ):振り返ると、技術的にもかなり興味深いプロジェクトでした。最初にご一緒した頃は、今でいうRAGという言葉もまだ広く知られていない時期でしたが、質問内容に応じて処理を振り分けたり、回答できない領域を制御したりと、現在でいうエージェントに近い構造をすでに実践していた部分もあります。そうした基盤があるからこそ、今後AIの要素技術を組み合わせていく際にも、今回得られた知見はそのまま活かせると考えています。
ですが、逢坂氏は、このプロジェクトの本質は技術そのものではないと見ています。
逢坂氏:カスタマーサポートは、これまでコスト部門として語られることが多かったと思います。問い合わせに対応し、問題を解決する。そうした役割が中心に見られてきたからです。ただ実際には、サポートの現場はユーザーに最も近い場所でもあります。ユーザーがどこで迷い、何につまずき、どんな情報を求めているのか。そうしたリアルな声が日々集まる場所なんです。
今回は「AIを導入すること」自体を目的にはしませんでした。QUICKとカサナレが共通の目線で語るのは、サポートの現場を「コスト」ではなく「価値の起点」へと転換するビジョンです。
安田:ユーザーの問いをどう解釈するのか、どの情報を提示すれば本当に役に立つのか。その部分をQUICKの皆さんと一緒に一つひとつ考えながら、実際に運用できる形へと落とし込んでいった。そのプロセス自体が、このプロジェクトの象徴だったと思います。
サポートがユーザーの声を受け取り、その知見をAIやサービス体験に反映していく。そうした循環が生まれれば、サポートは単なるコストではなく、サービス価値を高める起点になっていくはずです。ユーザーが迷わず使え、必要な情報にたどり着ける。
その体験をサポートの現場から作っていくことは、決して理想論ではありません。今回の取り組みは、その可能性を具体的に示す一歩になったのではないかと思っています。
3年前の意思決定は正しかったのか
生成AIに未来を託すという判断は、当時としては決して一般的なものではありませんでした。社内調整、PoCでの試行錯誤、そして金融サービスとして守るべき厳格なルール。その一つひとつと向き合いながら、現場は実装の形を探り続けてきました。
駒栄氏:あの時点で踏み出していなければ、今この形にはなっていなかったと思います。結果として正しかったかどうかは、これからの運用と進化で証明していくものだと思っていますが、少なくとも「やらなければよかった」とは誰も思っていません。
生成AIの可能性は、いまや多くの企業が語るテーマになっています。しかし金融サービスのように、高い信頼性と責任が求められる領域では、その可能性をどう活かすかと同時に、どこで線を引くのかという設計が不可欠になります。
同時にこの挑戦は、サポートは単なるコストではなく、ユーザーがどこで迷い、何に困っているのかという最前線の知見が集まる場所だということも示しています。
その知見をAIとサービス体験に還元していくことができれば、サポートは単なる問い合わせ対応の場ではなく、サービス価値を生み出す起点になります。
生成AIが広がるこれからの社会で問われるのは、AIに何をさせるかではありません。AIに、何をさせないのか。
今回の取り組みで定義した「答えてはいけないこと」の線引き。それは単なる運用ルールではなく、金融サービスにおける生成AI活用の一つの実装モデルとなっています。
